SOLARIS2011年02月01日 00時00分

 1982年秋、僕は公費で派遣された研修会で、講師のあまりに福祉労働者軽視の発言に腹を立てて講演途中で講師にその真意を糾し、言い争いになり、結果、半ば追い出されるような格好で会場を辞去した。「ばらさよ盟聯」松岡全権堂々の退場である。松岡は後に一生の不覚と慙愧の念にあったが、僕はあれは若気の至りではなかったと今でも確信しているし正しいことをやったと自負している。

 さて、ムシャクシャしているし時間は有り余っているしで、御堂筋をぶらぶら北上していたら、SABホールでタルコフスキー映画祭を開催していた。しかも「惑星ソラリス」がかかるではないか?!加えてまもなく上映。




 ためらわずチケットを買って入ったのは言うまでもない。惑星ソラリスの評判は知っていたものの、映画を観る機会はなかったのである。

 タルコフスキーの映画、普通の人は皆眠くなるのだが、僕はその映像美に目が冴え渡った。それ以来、タルコフスキー作品の大ファンとなった。




 さて、僕の周りにはこの映画の他にどんなソラリスがあるだろうかと、ちょっと考えてみた。
 最初に思いつくのは、大学の頃に時々行ってた、円町の「喫茶ソラリス」。一歩店内へ入ると宇宙船は飛び回っているわ宇宙人はあちこちに居るわで大変な喫茶店だった。面白かった。



 イタリアのフェラニア社が「ソラリス」というカラーフィルムを販売している。彩度が低く独特の雰囲気が出るので、トイカメ愛好者に好まれているようだ。



 マンズワインが「SOLARIS」というシリーズのプレミアムワインを出している。ずばりソラリスなので、一度飲んでみらねばなるまい。

 他には?これ以上は思いつかない、検索すれば他にもいくつか出てくるが…。
 そうか、ワインか。「惑星ソラリス」を見ながら「SOLARIS」でも飲むなんてのは、実に通俗的で、その恥ずかしさがかさぶたを剥がすような被虐的快感をもたらしそうだ。一度やってみても良いかも知れない。

国鉄忍ヶ丘駅1977年8月2010年04月27日 10時06分

 古いネガフィルムの整理をしていて、昔の国鉄片町線忍ヶ丘駅が写っているフィルムを見つけました。一部に痛みがありましたが、スキャナで読んでみました。そういえばこんなだったなぁと思い出しました。


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 忍ヶ丘駅は戦後1953年に作られた民衆駅で、この駅ができるまで北河内郡四條畷町には鉄道駅がありませんでした。ご覧の通り駅舎もささやかなもので、貨物取扱のあった四条畷駅とは大違い、しかも四条畷駅は大東市にあります。

 この写真を撮った頃にはすでに複線高架化工事が始まっていて、駅舎も取り壊される寸前と言っても良い時期では無かったかと思います。写真を拡大してただいて改札の奥を見ていただくと、材木の足場とその向こうにコンクリートの橋脚のようなものが見えます。

 「忍ヶ丘駅」の看板がなんだか手書き風で泣かせますね。改札口はかつては木造でしたが金属製のものに変えられています。柱に下げられた琺瑯製の「長尾行」のプレートがこれまた泣かせます。たしか紺地に白文字でした。この頃は発車の5分程度前に改札が開きましたので、乗客は皆さん改札や駅舎の外で待っています。右手の窓の向こうが待合室です。奥の壁には「トラベルフォトニュース」の掲示板があります。改札の右横にはライオンズクラブの寄贈した「護美箱」がおかれ、市内小学生などが描いた啓発ポスターがゴミ箱の上の鏡の下に掲示されています。
 駅舎左手の自動券売機、60円~340円、それ以上は窓口で買わなければなりません。自動券売機に並ぶ人のために波板の簡易な屋根が後から付け足されています。この自動販売機のある場所、昔は小荷物を預けるカウンターかなにかだったはずで、黒っぽい御影石の立派なカウンター(当時はベンチだと思っていた)があったはずです。
 券売機の上の運賃表は近郊各路線の運賃が書いてあります。片町線だと木津まで270円、環状線だと大正が一番遠くて230円、桜島線の桜島が230円、東海道線は下りが六甲道上りが高槻で340円、関西本線天王寺経由は王子が340円、木津経由は笠置が340円、桜井線は櫟本が340円、奈良線は城陽が340円、阪和線は和泉府中が340円、福知山線は宝塚が340円となっています。

 その隣のポスターはよく読めないのですが「8月催物情報・行事案内」でしょうかね?アサヒペンと玉姫殿の広告が入っています。そのとなりは弁天町の交通科学館、今は交通科学博物館ですね、「夏休みのりもの科学教室」のイベントが告知されています。広告はタケダハムですね。

 画面右奥には廃枕木で作ったホームの柵が見えその向こうに桜の木が見えます。国鉄の多くの駅がそうであったように、忍ヶ丘駅にも桜の木が植えられていて、春にはそれは美しいものでした。花の終りになると電車の巻き起こす風で桜吹雪になって。そのあと毛虫がやってくるのは仕方の無いことで、嫌だけれど、誰もがそんなものだと思っていましたね。仕方の無いこととはいえ、駅がだんだんに無機質になって行くのは嫌なものです。コストをかけらないという理由があるでしょう、優先すべきことではないとは思いますが、何が何でも桜の樹を残すのだという意気込みくらいは欲しいですね。JRではできないから地元でやってくれないかと言うくらいの。駅は公共施設です。自治体ももっと負担すべきです。


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 夜景です。待っている女性の後ろが出札口。奥には硬券の棚が見えます。改札の向こう側に見える生花の展示台ですが、今も駅構内にあります。当時のものと同じかどうかはわかりませんが、同じだとすれば唯一の当時の駅の名残かもしれません。今も、定期的に未生流の美しい生花が飾られています。よき伝統だと思いますね。


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 夜のプラットホームです。屋根はほんの僅かだけ。雨の日は大変でした。廃レールを使った鉄骨でつくられているのはもうお約束みたいなものでしょうね。


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 夜の踏切です。画面右手には工事中のフェンスが貼られています。後ろに京阪バスのバス停が見えます。この景色ももうすっかり変わってしまい殆ど名残はありません。

 こうしてみると、随分と時間が通り過ぎたのだなと思います。33年も前の話だなんて、解ってはいるけれども実感はないという感じがします。

生駒聖天宝山寺初詣(5)/番外編1975年の生駒山2010年01月13日 07時21分

 この写真だけ見せて「1975年の映像です」なんていわれても、客観的証拠と言うか手がかりと言うか、1975年だろうなぁと思わせるものは何も写っていないので説得力ゼロです。「昨日撮った?」と言われても仕方が無いような写真なんですが、本当に1975年なんです。高校受験直前、中学三年生の冬休みでした。こうやって写真ばかり撮って遊び呆けて全然勉強しなかったし、全然勉強しなくてもすいすい進学できるほどの頭でもなかった中途半端な餓鬼でした。もうちょっとどちらかに転んでいたら、今のような薄ら馬鹿にはならなかったのですが…。




 1975年の初日の出。




 1975年1月1日の天文台。

 この写真の印象をもとに「荒天の冬至に立り天文台」とか言う句を読んで何かに入選したことがあります。写真は全然荒天じゃないし冬至でも無いのですが。まぁそこはイマジネーションという事で。

 誰もが「生駒の天文台」なんて呼んでいましたが、正しくは京都大学の「生駒山太陽観測所」なんだそうです。しかも付け加えればこの建物に限ってはもと「航空灯台」であるとのこと。このあたりはこちらこちらに記載が少しあります。

 中学生だった私たちもご多分に漏れず天文台の廃墟へ忍び込み、地下の暗室みたいなところに薬品のクラシックな大瓶が大量に放置されているのをのをみつけてびっくりしたことがあります。てっぺんにドームを載っけた塔もあって「これってシーロスタットなのかなぁ?」とか、とにかくその理科的雰囲気に興奮したものでした。

 天文台があったせいか、山頂の遊園地の一角には生駒山宇宙科学館という施設がありました。1969年の開館で、当時のSF・宇宙好きの小学生にとってはとても楽しいところで、よく行きました。中学生になっても尚行ってましたからね。
 今はもう閉館してしまったようですが建物は残っています。

 それに合わせたのかどうかはわかりませんが、近鉄生駒ケーブルの山上線を走っていたケーブルカー「コ5形」(1953年導入)にはそれぞれ「こぐま」「はくちょう」と星座の名前が控えめにつけられていました。でもそれだけで心踊ったものです。今は新しい、えげつない趣味の車両に置き換えられてしまいましたが…。

 長い間天文台あたりへは行っていませんが、下からもこの塔は良く見えます。生駒がわへ回れば、天文科学館もよく見えます。暖かくなったら訪ねてみたいものです。


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