四日市・三和商店街【1】2013年08月20日 16時05分

 下渕マーケットに見られるような、木造アーケードの小規模な商店街というものが、少なからず各所に見られるということが、最近少しずつわかってきました。ネットで検索すると、結構な数、ヒットします。

 最近知った三和商店街という場所、枯れ具合が下渕マーケットとよく似ています、一部には建物が崩壊しているとの記述も見られます。なくなってしまわないうちに、見物、撮影して来ました。



 JR四日市の駅前に車を止めましたが、いやはや驚きました。がら~んとしてなにもありません。駅も規模は大きいのに無人駅同然。もったいない話です。

 さて、件の三和商店街、Googleマップによるとこんな配置がなされています。



 この南側の入口から入ってみましょう。



 この「きっちんケミア」の向こう側に入り口がありそうです。


<つづく>

四日市・三和商店街【2】2013年08月21日 08時42分

 さて、南側の入口から中に入ってみます。表側はこんな風情で、人が暮らしを営んでいる感じ。



 もう少し進んで見ると、こんな景色になります。



 壁に書かれているのはかなり薄くなって読めないのだが、ネットの記述を参考してみると、「マツバ食堂」赤い文字は「洋食」かな?消えかかっている真ん中辺りの文字は「ライスカレー50円」のようである。ライスカレー50円に至っては1960年頃ではないかと推測される。

 この先、通路の上にも建物があってトンネルのようになっている場所から先を見るとアーケード街があります。



 なんだか左右と頭上から崩れ落ちてきそうで怖いのですが、向こうは陽光燦燦とした空間のよう。このまま歩を進めてゆきましょう。


<つづく>

四日市・三和商店街【3】2013年08月22日 00時00分

 さて、低い天井をくぐり抜けてみると、そこは光の空間でした。この木造アーケードが、あちこちの同様の建物と非常によく似ているように感じます。当時の主流だったのでしょうか?どこのアーケードもプラスティックの波板張りですが、建設当初にプラスティックの波板ってのが存在したのかどうか?ちょっと調べてみたのですが、今のところわかりません。
 それにしても素晴らしい天井です。



 通路右側においてあるパイロンには「四日市市」と書かれています。ということは、この通路は公共の道路なのかも知れません。右側の建物が半ば倒壊しているようでブルーシートが掛けられていますが、それも大分風化してしまっています。

 

 振り返ってみると「鳥金」と書かれた渋い看板が掛けられています。今、この通路の左右は全て飲み屋になっていますが、昔は「商店街」の名の通り、小売店が軒を並べていたのでしょう。
 現在、三和商店街の画像を検索しても、栄えていた頃の写真が全くヒットしません。これは下渕マーケットやまたいずれ記述したいい思っていますが、東大阪市の「鴻池商店街」も同様で、往時を偲ぶ映像が全くなく無いのは残念です。こうしてあるところで有名になってしまったのもその寂れっぷりと昭和の佇まいゆえなのでしょうから、致し方のない部分があるのでしょう。でも、やはり往時の画像を見てみたいものです。

 

 中央通路北端から南を写しています。パイロンの「四日市市」の文字が読めます。また「頭上注意」の張り紙があります。マンホールがありますがもしかして下水道が通っているのでしょうか?

 市当局としては、ぶっ潰してしまいたいでしょうねぇ、こんな厄介な建物群は。実際、どこの街でもぶっ潰されてしまっていますし。それにここまで傷んでしまうとリノベーションは難しいでしょう、崩れ去るのを待つしか無いのかもしれません。

<つづく>