旧居再現計画【ジューサー】 ― 2012年11月08日 15時19分
10月28日、ワイナリーフェスタの翌日なんですが、27日は塩尻・松本地区の宿は軒並み満室だったので、当日中に名古屋まで戻って一泊し、翌日は名古屋市内を幾つか回りました。その内の一つでアンティークマーケット吹上と言う、ビルひとつそのまんまアンティークショップという場所があります。
で、そこで、思わぬ懐かしいものと再会しました、むかしむかし、うちで使っていたジューサーです。ぱっと見て思い出しましたが思い出したどころか、当時の青臭く酸っぱいトマトの味まで思い出しました。とっても不味くて、今のトマトとは比べ物にはなりません。僕は現代のトマト擁護派です。
富士電機のジューサー。結構傷んでいてお値段は5,000円。即買いするには躊躇う値段ですししかも重たい。このあともまだ名古屋市内をうろつくつもりだしということで、一呼吸置くことにしました。
ヤフオクの検索をかけると、蓋の色の違うモデルがかなり安く出品されています。締め切りもまだ先。この「蓋の色」ではたと冷静になりました。自分は乳白色の不透明プラスティックだったと記憶しているのですが出品されているのは透明ブルーの蓋です。これは困った、記憶の間違いというのは多々あるものですからね、やはり帰宅してからよく考えてみようということで、当日はそのまま帰宅しました。
翌日早速母に訪ねてみると「透明やったんと違うか?」と言います。父は全然覚えていない。母の話によれば、当時下の弟も生まれていて、よくトマトジュースを作って飲ませたというのです。下の弟は私と8歳違いです。彼が飲んでいるとすれば、例えば3歳で飲んでいたとしても1970年頃ということになります。このジューサー、初期は蓋が不透明ですが後期には透明になっていますから、母の言うことが正しければやはり蓋も透明であったと言うのが正しそうです。そこで、入札することにしました。
スタート価格で落ちるかとおもいきや、その倍以上になりました。高い目に入札していてよかった、気づいた時には競りは終わっていましたからね。
まぁ幸運も手伝って、ジューサーは手元にやって来ました。さすがに台所用品を再現部屋とも言える和室においてもしまらないので、台所に置くことにしました。台所片付けて、実用性を少し削ってでも、懐かしの台所風に仕上げてゆこうかと思っています。
旧居再現計画【電話機】 ― 2012年02月10日 09時48分
我が家に電話が引かれたのは昭和42年の事だと記憶しているのですが、定かではありません。ずいぶん遅いような気もするのですが、住宅用電話の普及率から見ると遅くはなかったようです。
当時、電話機は、玄関にあった下駄箱を収納するためのニッチが室内に飛び出していた、その上に置かれました。その時のことをよく覚えています。
そして電話機はこれ…
オークションなんかではお馴染みの電電公社4号A型自動電話機です。これも、家のものは速くに公社に返してしまいましたので、これはオークションで手に入れたものです。
当時私は小学生でしたが、本体も受話器もずっしりと重かったことを覚えています。今、持ってみてもやはり重いですね。電話機はもう随分と軽くなっちゃいましたから。昔はサスペンスドラマなんかで、電話機で後頭部をぶん殴って殺人…なんてのもあったものです。今の電話機ではとうてい無理な話ですね。
この電話機は比較的以前に落札したもので、家の固定電話をこれに替えようと目論んだのですが、家族の反対にあって潰えてしまいました。今回、実家の和室において、実際に使えるようにしようと考えています。
もともと置いてあった「下駄箱の上」はラワンの一枚板だったかと記憶しています。背面は玄関とを隔てる型板ガラス障子で、縦使いの「モール」が入っていたように記憶しています。もしかしたら、銀モールだったかも知れません。
できればラワンの台の背面にモールの入った窓でもしつらえて、そこに置いてやりたいものです。
当時、電話機は、玄関にあった下駄箱を収納するためのニッチが室内に飛び出していた、その上に置かれました。その時のことをよく覚えています。
そして電話機はこれ…
オークションなんかではお馴染みの電電公社4号A型自動電話機です。これも、家のものは速くに公社に返してしまいましたので、これはオークションで手に入れたものです。
当時私は小学生でしたが、本体も受話器もずっしりと重かったことを覚えています。今、持ってみてもやはり重いですね。電話機はもう随分と軽くなっちゃいましたから。昔はサスペンスドラマなんかで、電話機で後頭部をぶん殴って殺人…なんてのもあったものです。今の電話機ではとうてい無理な話ですね。
この電話機は比較的以前に落札したもので、家の固定電話をこれに替えようと目論んだのですが、家族の反対にあって潰えてしまいました。今回、実家の和室において、実際に使えるようにしようと考えています。
もともと置いてあった「下駄箱の上」はラワンの一枚板だったかと記憶しています。背面は玄関とを隔てる型板ガラス障子で、縦使いの「モール」が入っていたように記憶しています。もしかしたら、銀モールだったかも知れません。
できればラワンの台の背面にモールの入った窓でもしつらえて、そこに置いてやりたいものです。
旧居再現計画【電傘】 ― 2012年02月07日 00時00分
最初に手に入れたのは、当時と全く同じ電球の傘です。
乳白色のガラス製で、セルロイドを巻いて装飾を施してあります。装飾も凝ったものではなくて簡素、たぶん当時から安物だったんだと思います。でもまぁ安物でも懐かしさは変わりませんね。
吊り下げのためのブラケットはしっかりした現代のものです。天井との接続は引掛シーリング、このあたりは、安直に現代にあわせてあります。昔は直接の接続だったのでしょうかね?
電球を取り付けてあるソケットは、ナショナルの「国民ソケット」です。これ、まだそのまんまで売られています。E26口金が2つのタイプ。3つのタイプもあるのですが、うちでは2つでした。そこに60W球とE26の10W球とを取り付けました。当時と同じです。
国民ソケットのプルスイッチは4段階、全点灯→主点灯→副点灯→消灯です。昔の写真でこのソケットにプラグをつないで、家電機器に給電しているものがありますが、ブラケットの根元にコンセントが付いているものもあれば、ソケットにコンセントアダプタをとりつけて、そこへつなぐものもあります。3口だとだいたい主灯・副灯・コンセントと振り分けていたようです。
点灯させてみると、思いの外、風情がありまた当時を鮮やかに思い出せてくれます。子供の頃は夜が長かったし怖かった。
これで一気にやる気が出てきて、猛然と部屋の片付けを始めました。早いうちにそこそこまで持っていきたいものです。 https://lh5.googleusercontent.com/-sH6Cm_m0roI/TytjnPaddBI/AAAAAAAAGYY/QNKpyz1VPac/s400/%25E8%25B1%2586%25E7%2590%2583400.jpg
乳白色のガラス製で、セルロイドを巻いて装飾を施してあります。装飾も凝ったものではなくて簡素、たぶん当時から安物だったんだと思います。でもまぁ安物でも懐かしさは変わりませんね。
吊り下げのためのブラケットはしっかりした現代のものです。天井との接続は引掛シーリング、このあたりは、安直に現代にあわせてあります。昔は直接の接続だったのでしょうかね?
電球を取り付けてあるソケットは、ナショナルの「国民ソケット」です。これ、まだそのまんまで売られています。E26口金が2つのタイプ。3つのタイプもあるのですが、うちでは2つでした。そこに60W球とE26の10W球とを取り付けました。当時と同じです。
国民ソケットのプルスイッチは4段階、全点灯→主点灯→副点灯→消灯です。昔の写真でこのソケットにプラグをつないで、家電機器に給電しているものがありますが、ブラケットの根元にコンセントが付いているものもあれば、ソケットにコンセントアダプタをとりつけて、そこへつなぐものもあります。3口だとだいたい主灯・副灯・コンセントと振り分けていたようです。
点灯させてみると、思いの外、風情がありまた当時を鮮やかに思い出せてくれます。子供の頃は夜が長かったし怖かった。
これで一気にやる気が出てきて、猛然と部屋の片付けを始めました。早いうちにそこそこまで持っていきたいものです。 https://lh5.googleusercontent.com/-sH6Cm_m0roI/TytjnPaddBI/AAAAAAAAGYY/QNKpyz1VPac/s400/%25E8%25B1%2586%25E7%2590%2583400.jpg
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