湯浅【3】【終】路地のまち湯浅 ― 2013年11月01日 17時05分
今回は玉井醤の径山寺味噌が目的だったのと、あまりの暑さのためにあんまりゆっくりしませんでしたが、ひとつ判ったことは、醤油があまりにも有名ですが、実は湯浅はとても魅力的な路地の街だということでした。自動車の通れる道の間を無数の路地が結んでいるのです。なんとも言えない歩き心地の良い街だと言うことです。
そんな路地から通りに出た時に見つけた魅力的な建物。

もとは医院(ネットで検索した結果どうも「有田医院」という医院の建物だったようです)だったようですが、今はGoogleMapsで見る限り設計事務所のようです。

こちらは銭湯「ほてい湯」。現役の銭湯です。残念ながら日曜日はお休みでした。あまりにもひっそりとしているので廃業されたかと思っていました。

手書き看板が泣かせます。

トイレは外なのかな?

別の路地には板壁にこんな看板。

まさか小用を足されて錆びた?

水路のある路地を歩いていると、お婆さんがなにやら水路を覗きこんでいます。何か居るんですか?と尋ねると「蟹」。
へぇ、蟹ですか?とよくよく見ると…

わぁぁ、蟹。蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹!
こりゃぁたくさん居ますねぇと、お婆さんと盛り上がってしまいました。今日はやたらお婆さんに縁のある日です。いつもこんなに居るんですか?とかなんとか。去り際にお婆さんは「私は一人暮らしなもので、こんなに喋ったのはしばらくぶりでした。楽しかったわぁ。ありがとう」とおっしゃいます。そんなものなのかなぁと思いました、そういえば母も、いろいろ話しかけられるとちょっと嬉しいと言ってましたねぇ。これからは撮影に歩いていても、下らないことでもいいから話しかけてみようかと思いました。「写真撮ってますねん」くらいでいいんでしょうなぁ。
素晴らしい路地の街湯浅。今日一番良かったのはここかなぁ。

<おわり>
より大きな地図で 湯浅 を表示
そんな路地から通りに出た時に見つけた魅力的な建物。
もとは医院(ネットで検索した結果どうも「有田医院」という医院の建物だったようです)だったようですが、今はGoogleMapsで見る限り設計事務所のようです。
こちらは銭湯「ほてい湯」。現役の銭湯です。残念ながら日曜日はお休みでした。あまりにもひっそりとしているので廃業されたかと思っていました。
手書き看板が泣かせます。
トイレは外なのかな?
別の路地には板壁にこんな看板。
まさか小用を足されて錆びた?
水路のある路地を歩いていると、お婆さんがなにやら水路を覗きこんでいます。何か居るんですか?と尋ねると「蟹」。
へぇ、蟹ですか?とよくよく見ると…
わぁぁ、蟹。蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹蟹!
こりゃぁたくさん居ますねぇと、お婆さんと盛り上がってしまいました。今日はやたらお婆さんに縁のある日です。いつもこんなに居るんですか?とかなんとか。去り際にお婆さんは「私は一人暮らしなもので、こんなに喋ったのはしばらくぶりでした。楽しかったわぁ。ありがとう」とおっしゃいます。そんなものなのかなぁと思いました、そういえば母も、いろいろ話しかけられるとちょっと嬉しいと言ってましたねぇ。これからは撮影に歩いていても、下らないことでもいいから話しかけてみようかと思いました。「写真撮ってますねん」くらいでいいんでしょうなぁ。
素晴らしい路地の街湯浅。今日一番良かったのはここかなぁ。
<おわり>
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四日市・三和商店街【7】【終】 ― 2013年08月26日 00時00分

ちょうどこの写真を撮影している時に後ろから「暑いのにご苦労さんやねぇ」と声をかけられました。とっさの事で、「あ、いや、はぁ、げへへへへへへ…」としどろもどろな返事をしてしまったのですが、この先の右側角の「よりみち」というお店に入っていかれました。お住まいなのか、今日もお店を開けられるのか?さっきの挨拶に他意はないのか嫌味なのか…?

こういうところばかり撮影して歩いていると、二度目の訪問がかなわないことが少なからぬ回数あります。まもなくなくなってしまうところの風情が自分を惹きつけるのでしょう、だからときどき自分が死神のように思えてくることがあります、自分が訪問すると遅かれ早かれその場所は消えてなくなってしまう、そんな気がします。 一方そういう風情だから撮影に行くというのもなんだかそこに暮らす人に対して残酷な行為のように思えることがありますしまた失礼なことのように思える時もあります。
しかし、先日、寺田町の下町にある父の実家を気合を入れた機材で撮影に行ったら更地になってて脚の力が抜けたことがあります。なんでもっと早くに写しておかなかったのか、自分じゃなくてもいい、誰かいい作品にして残してくれてないだろうか?そう思いました。自分がアマチュアの写真作家だからそう思うのでしょうか?いや、そうじゃなく、その家で少なからぬ日数を過ごした、当事者の一人としてそう思ったのです。
これで迷いはほぼ無くなりました。咎められない限り写そうと。
今まで歴史というのは、権力者が都合のよいことばかり書き散らしただけのものでしたが、この先はネットで、我々庶民のなんということのない暮らしもネットで「歴史」として書き残されてゆく時代です。やっと我々庶民が歴史を記述する時代になったのです。そう思うと記述に間に合ったことは悪いこっちゃ無いかも知れんと思います。それが興味本位の野次馬根性でも。

型板ガラス「からたち」が破れていました。繕ったけれどまた破れてしまったという感じ。
店のママらしき人の挨拶をきっかけにいろいろと考えながら、三和商店街を後にしました。
それにしてもここ、前職でケアしていた生徒たちの名前がずらずら…ここに4人います。当時のメンツが12人でしたから、1/3か?!

最後に駅前の時計を。撮影したのは10:14でした。さすがにこれはいただけない、きちんとしておくべきでしょう。
<おわり>
四日市・三和商店街【6】 ― 2013年08月25日 00時00分
どういう訳か、こういう飲み屋街(本当は商店街なのだけれど、現在は事実上飲み屋街になっている)にはピースボートのポスターがよく貼られているように思います。ここでも、意識して写した訳じゃなく、たまたま写っていたってのを切り抜き拡大して並べてみます。




たまたま写っていたものだけでも4箇所にありました。
さて、ピースボートの四枚目の写真のお店の1軒向こうに居酒屋「優」という店があります。

三和商店街のことを検索していたらたまたまヒットしたのですが、どうもレコード屋さんなのか、居酒屋とレコード屋を兼ねているのか、よくわからないのですが、なかなかサブカルっぽいお店だったようです。
だったようです、というのは、なんとこの写真を撮影した8月18日の三日後の21日に閉店されてしまったようなのです。なんという事でしょうか。こやってだんだんとお店が減っていって、最後には更地にされてしまい、市当局がほくそ笑むのでしょうねぇ。
居酒屋「優」に関するリンクを少し紹介しましょう。
WebInstagram
居酒屋優の壁
さだまさしのドラムブレイク
YouTubeにも…
<つづく>




たまたま写っていたものだけでも4箇所にありました。
さて、ピースボートの四枚目の写真のお店の1軒向こうに居酒屋「優」という店があります。

三和商店街のことを検索していたらたまたまヒットしたのですが、どうもレコード屋さんなのか、居酒屋とレコード屋を兼ねているのか、よくわからないのですが、なかなかサブカルっぽいお店だったようです。
だったようです、というのは、なんとこの写真を撮影した8月18日の三日後の21日に閉店されてしまったようなのです。なんという事でしょうか。こやってだんだんとお店が減っていって、最後には更地にされてしまい、市当局がほくそ笑むのでしょうねぇ。
居酒屋「優」に関するリンクを少し紹介しましょう。
WebInstagram
居酒屋優の壁
さだまさしのドラムブレイク
YouTubeにも…
<つづく>
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