忍ヶ丘から歩いてゆく【2】大日まで(4)2011年02月11日 00時00分

 萱島銀座商店街という優良物件に後ろ髪を引かれつつ、ハッセルやローライを持ってこなかった事を些か後悔しながらも、今日の目的は暗渠の上を歩くことなので、そのまま歩を進めましょう。
 萱島駅をくぐって北側に出ます。ここからほんの少しだけ高架に沿ってゆきますと…。



 萱島駅は駅舎を巨大なクスノキが貫いているので有名ですが、こちらもそのミニ版ってところでしょうか。やはり大きな木が小屋の屋根を貫いています。萱島は樹を特に大切にするのでしょうか?
 萱島駅のクスノキの保存に関しては、地元の要望だのなんだのと京阪は言っているようですが、本当はもう一本あったクスノキの巨木を京阪が切ってしまい、そののちに当時あった蒲生信号所で列車の衝突事故が起こり、それで信心深い京阪電車は恐ろしくてこのクスノキを切れなかったという…そんな噂もあります。
 少し脱線(!)しますが、京阪って電車やバスに必ず成田山のお札が貼ってありますね。ちょっと調べたところ…

 京阪電車や京阪バスに乗られたことがある方でご存知の方が多いとは思いますが、どの車両の壁にも必ず成田山のお札が掛けてあります。また香里園駅の別の呼び名が「成田山不動尊前」ともなっています。
 これは成田山不動尊(以下:当山)が昭和9年に、京阪電気鉄道株式会社がかつて経営していた香里遊園地跡地の一部の土地を寄進して施主となり建立されたことによります。非常に歴史のある淀川東岸の街道は古くから栄えていましたが、大阪市内からは表鬼門にあたり、京都からは裏鬼門に当たる地域でもありました。この地域の安全なる発展は地域住民と同じく沿線の輸送を担う京阪電鉄関係者の切なる願いでもありました。当山開創以来、京阪電鉄関係者は春、秋、年末に必ず参拝に訪れ、沿線地域の交通輸送と開発発展が無魔に進むことを祈願されてきました。各車両に掲げてあるお守り札は、毎年12月に年末年始輸送安全をご祈願された際に授与されるお札で、1年に一度必ず取り換えられ、乗車される皆さんの安全が願われています。(成田山不動尊ウェブサイトより引用)


 とのことで、そんないわれがあったそうです。

 さて、講釈を垂れていないで大日へ向かいましょう。



 しばらくは自転車で大日へ向かう行路と同じです。例の大好きなラウンドアバウトを通過します。このラウンドアバウト、無粋なフェンスで覆われてしまっていますが、こんなものとっぱらって、花でも植えればいいのになと思いますが。

 ここを過ぎて、自転車ならやや北を走りますが、今日は南へ少し下ります。



 最近少し少なくなってきたキリスト看板が健在です。それにしてもこの看板ってネガティブな…っていうか、脅し文句ばかりで、なかなか味わい深いです。よく見かけるのは書体がゴシックですが、これは筆文字ですね。
 看板だけならいいんですが、初詣の寺社仏閣の側でプラカード掲げで相変わらず道行く人を脅迫しているのは余りにも頭が悪げでいただけません。



 なんとも懐かしい感じがする文化住宅が健在です。それどころか、このあたり文化住宅ばかりと言っても過言ではありません。ひっそりと隠れ住むのに案外適しているかもなと思います。



 この書体といい、フェンスへの掛け方といい、これは間違いなく「並木順看板」と同系統です。確かにここは萱島大和田、並木順のテリトリーですな。それにしても「守口門真子ども音頭」ってのはなんじゃらほい?ググッてみますと、素晴らしいウェブサイトがヒットしました。

「MKKの謎」

 そういえば、並木順の看板も減ったよなぁと感慨にふけりながらはっと気づくと、そこはもう、暗渠の上。暗渠化の始まるポイントをすでに通過してしまっていました。今更もどって写真を取るのも面倒なんで、このままずんずん進むことにしましょう。



 振り向いて撮った写真です。進行方向は手前、この左側の道を歩いてきたわけです。この青いフェンスに「守口門真子ども音頭」の看板がかかっていました。
 それにしても、こういうフェンスにはだいたい共産党と公明党のポスターがひしめいているものですが、このフェンスではきれいに撤去してありますな。

 ふたたび前を向いて本格的に暗渠の上を歩きましょう。


より大きな地図で 大和田~大日の暗渠を歩く を表示

<つづく>