木曽開田的日乗/元日2011年01月01日 23時59分

あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。

 コビが往生してしまったのでおめでたいも何も無いじゃないかと言われそうですが、まぁコビは元気に長生きして老衰でポックリ往生でしたので、それはそれでめでたいですから、お正月もまためでたい思います。

 雪が相変わらずふります。



 元旦は何をするということもなく、集合した一族でおせちを食べ、なにかとしゃべりお酒を飲みという、そうそう普段の別荘と変わらない生活をしました。

 今年はどんなことが待っているのか?想像もつきませんが、こんなけったいな世間にあまり付き合わず、浮世を睥睨しつつ気ままに生きてゆきたいと思っています。
 どうぞよろしくお付き合いをいただきますよう、お願いいたします。

木曽開田的日乗/冬ごもりメンテナンス2011年01月02日 23時59分

 ずっと滞在するならともかく、たまにしかやってこない別荘は冬場には特に入念なメンテナンスが必要となります。
 それはなにもかもが凍りつくこの低温のせいです。

 厄介なのは水回り。水抜きをひとつでも忘れようものなら、そのパイプは凍裂を起こします。気づかずに春になって通水すると…噴水になっています。屋外ならまだましだけれど、屋内だとそりゃぁもう笑うしか無いような水浸し。こんな経験が一度や二度ではありません。
 地元の大工さんや設備屋さんたちは、この地で生活しているので「たまに来る家」というのがどうなってしまうのか、まったく知りませんし想像もつかないようで、これらに配慮した合理的な家づくりができません。ここらあたりは、もうちょっと勉強していただきたいところです。



 今年は旧館(築33年)がリノベーションされ、強力な灯油ヒーターが入りました。おかげで灯油の消費量は二倍になりましたが、吹き抜けのリビングに設置されたヒーター一台で、小さな旧館は三部屋ともよく暖まり、殆ど補助の暖房は要らないくらいです。



 部屋が温まってくると、その熱がどうしても屋根にまで漏れてしまい、雪がとけて大きなつららが出来ます。たった三日でこんなに大きくなります。この大きくきれいなつららに見とれていると、恐い目に合います。屋根の雪が摩擦を失って一気に滑り落ちてくることがあるからです。この雪崩は雪の塊の底が氷になっていますから、鋭い刃が落ちてくるようなもので、たまたま軒下の雪に突っ込んで冷やしてあったコーラの完が真っ二つなんて事もありました。人間に当たると大変です。

 さて、ひと通り冬ごもりの支度を終えてしまうと、もうここには居られないので、今夜は両親の山荘に泊めてもらうことにします。車もそこに置いて、歩いて御岳明神温泉「やまゆり荘」に向かいます。




 やまゆり荘への道中、御嶽山がきれいです。



 まだ午後三時ですが太陽が低い。まもなく隠れてしまいそうです。

 さて、やまゆり荘での目的は、混んでいる温泉じゃなくてこれ、



 最近名物となった「いわな天丼」です。
 やまゆり荘の食堂は実はごはんが旨い。えびフライとか鶏の唐揚げとか普通の定食が美味しくて、蕎麦はまぁ出来合いの麺だから、定食にくっついているのでじゅうぶん。ってなわけで、時々、普通の定食を食べに来ます。で、今日はいわな天丼を食べようというわけです。

 さすがに新名物、美味しかったですねー。いわなは丁寧に骨も抜いてありますので、安心して食べられますし。僕は魚は好きですが骨を外すのが面倒という子供舌なもので、こういうのは助かります。

 さて、労働の後の飯も旨かったし。再びとぼとぼと雪の中をあるいて帰りましょう。誰もが皆、自動車で来るので、歩いてやまゆり荘を離れると、自動車からは怪訝な顔で見られます。家はすぐそこなんですわ。



 戻ったら母があんパンを焼いて待っていました。大福茶を入れておやつタイムです。

木曽開田的日乗/復路2011年01月03日 23時59分

 正月休みもあっという間に終了。

 昔は夏休みなんかだと二週間とってゆったりと過ごしたものですが、磊落してからは休みも余り取れず、正月休みも5日だけで、外には漏らしませんが内心は結構惨めな思いをしています。
 おまけに歳をとって何もかもが鈍くなってしまい、ますます残り少ない時間を無駄に潰すことになってしまいます。急ぐと絶対にミスをしてしまうし、どうしても時間が多くかかってしまいますね。

 そんなわけで、大阪までのたった350kmを一日かけて帰る事にしました。朝の10時に出発です。帰路はもう木曽福島の街へも寄らず、ひたすら19号線を中津川目指して走りますが…やはり、腹の虫が騒いで、道の駅賤母へ立ち寄りました。
 道の駅賤母は、以前は長野県木曽郡山口村だったのだが、県をまたいでの合併で中津川市に編入されました。もともと中津川市との結び付きが強く経済的にも完全に中津川の圏内です。また行政手続きなんか木曽郡の中心である木曽福島町(現在は木曽町)まで出かけなければならない不便があり、県庁のある長野市なんて、特急に乗っても数時間かかります。中津川市ならもう目の前ですから、村民が中津川と合併したいという気持ちを持つのは当然…というか、気分的にも中津川市民みたいなものでしょう。
 当時の県知事、田中康夫は当初難色を示していたものの後に一転して合併を受け入れ、長野県と岐阜県の県境が変わったのでした。

 前置きが長くなりましたが、そんな訳で、岐阜県となった道の駅賤母は、木曽の産物だけではなく、美濃や飛騨の産物まで扱うようになりました。これはこれでなかなかバラエティに飛んでいて悪くありませんでした。また地元中津川の特産の開発にも力を入れているようでした。面白かったのは地元産の唐辛子で「あじめ」というそうですが、かなり辛い赤唐辛子です。

 道の駅賤母で長居をしてしまい、あたふたと中央道中津川ICを目指します。一般道はスムース。高速道路は若干車が多いですが、渋滞したり速度が落ちたりすることはありませんでした。

 名神高速に入ってからはまたまた尾張一宮P.Aへ立ち寄り、ここのスターバックスコーヒーで軽食とコーヒーを買い求めました。



 再びのろのろと走りだして高速道路を行きますが、おお、栗東までも所要時間がグリーンだ、渋滞にあわずに走れるなぁとうかうかしていましたが、京都へ近づくに連れ、オレンジ表示がじわじわと東へ進んできます。とうとう栗東までの所要時間もオレンジ表示になってしまいましたが、まぁどうせすいていてものろのろ走って時間がかかるのですから同じことです。
 結局ちょっと混雑しただけで無事に瀬田東から京滋パイパスへ入り、第二京阪へ進んで帰ってきました。結果として往路と同じくらいに時間をかけて帰ってきました。

 途中、対抗する上り車線では追突事故に寄るひどい渋滞が二度ほど起こっていました。ああいうのは車間距離をちゃんと取らないから起こるのであって、なんであんなに車間を詰めて来るのか理解に苦しみます。
 なにはともあれ、無事に大阪に帰りつきましたが、帰ったら電気温水器が死んでいました。ああ、なんという幸先の悪さ。お茶を飲む暇もなく修理に取り掛かり、お正月休みは暮れたのでした。