きさいちハイキングコース(4)/番外編2009年10月28日 08時45分

 私市ハイキングコースでは、初めて行った小学5年の遠足の時から、強烈というか、酸っぱいというか、そういう想い出があります。

 子供ならあたりまえなのかも知れませんが、お天気も良くすばらしい遠足だったので、私達はハイテンション。しかも成績不良で素行もよろしくなかった私なんぞは、一日教室で勉強しなくても良いと言うだけでもうすっかりハイになっていました。

 帰路、月輪の滝にさしかかったとき、私達は滝を迂廻する、滝道よりもだいぶん上のルートを歩いていました。覗き込めばがけの下に小川が見えます。

 下の方に水面が見えれば、とにかく石を放り込んでみたくなるのが当然(?)でしょう、私もそうしようと思いましたが、しかし下に人がいたら大変(その人が怪我をするという心配ではなくて、それがどうであれ『自分が叱られる』と云う事が嫌だったので)ですから、それはいけない。でも、自然の力で勝手に落ちたのなら仕方がない。

 猿程度の悪知恵を巡らせた私はピンポン球の半分くらいの石を崖の端に置いて、たまたま落ちるなり、誰かが偶然に蹴飛ばすなりすれば面白いと思い、実行しました。

 それを見ていた友人の"ながやん"が、「こんなもん蹴っ飛ばしたらええんや」と云ってためらいなく蹴っ飛ばしました。
 あーあ、下に人居ったら知らんでぇ…と思いながらも、石が落ちていった面白さにげらげら笑いながら歩いて行きました。

 滝道と迂回路の合流するところにさしかかると、前の方でなにやら先生方とおっさんが揉めています。
 一目見て私達は状況を理解しました。おっさんの額に血が滲んでいたからです。ながやんは目を見開き口をぱくぱくさせながらこっちを見ました。僕も顔色が青かったに違いありません。私が置いてながやんが蹴っ飛ばしたあの小石がおっさんにあたったのです。

 おっさんは、「誰かが石を投げた」とものすごい剣幕でしたが、同様の迫力で担任のO先生が「うちの生徒がそんな事をする訳がない」ときっぱり。ながやんと私はこそこそとその脇を通り過ぎていったのです。

 良心の呵責ですか?そんなもの、私市駅に着く前に無くなっていましたよ、河内磐船駅から電車に乗る時には、もうすっかり元通り。その場を逃れられればそれでOKでした。後にも学級会でこんな事があったなんて先生からのお小言もありませんでしたしね。

 ながやんとは中学が違い、成人式で出会ったきりですが、どうしているのかなぁ。月輪の滝のあの事を憶えているのでしょうか?
 私はそれでもやはり、その後、月輪の滝を通過するたびにこの事件の事とながやんの事を思い出します。今でも現にこうして…。

 私はその後、地元である仕事に就き、その中で当時教育委員会におられたO先生と少し一緒に仕事をする事がありました。久しぶりにお会いしたそのときに「Kくん、僕の事を憶えてるか?」とO先生が仰いましたが、「忘れる訳ありませんよO先生(…あんな事件があったのですから)」と返事をすると、O先生は楽しげに笑っていらっしゃいました。私はあの話しをして余程O先生に謝ろうかと思いましたが、なんとなく云えずにその場は終わってしまいました。

 そんな事を未だによく憶えているというのは、やはりそれなりに気になっていたのでしょうね。
 これから先、何度この月輪の滝を通るかわかりませんが、その度にこの事は思い出すでしょう。ながやんの事も、若かったO先生の事も。

きさいちハイキングコース(3)/永大団地探訪2009年10月26日 13時26分

 前回のエントリで訪ねてみたいと云ってた「永大団地」ですが、10月25日午後にMTBに乗って行ってきました。

 忍ヶ丘の自宅から私市までは僅か7kmでのんびり走ってもすぐに到着です。まずは私市駅へ。「関西ハイキングガイド」の地図では、私市駅の北側、線路を横断するようにルートが書かれていますが、多分これは誤りでしょう。現在は駅の東側からもアプローチ出来ますが、ここは当時の記載に従って、駅の西側の路を行きましょう。

 道なりにゆくといきなり急な下り坂が現れます。ブレーキを軋ませてクリア、下ってすぐのY字路を右へ行きます(実は私は間違えて左から行ってしまいました)そのまま行くと右手に跨線橋の見える辻にさしかかりますので、そこを右折、跨線橋へと坂を登ります。<写真>



 そのまま跨線橋を渡り、道なりに坂を登って行きますと左手に住宅群が現れます。これが恐らく永大団地なのだと思います。

 この永大団地の「永大」というのは、恐らく合板の永大産業の事でしょう。調べてみますと「昭和49年には住宅メーカー6位にまでなった」との記述も見られます。また永大ハウスというプレハブ住宅がありこの開発のために「大阪市住吉区の永大産業本社工場の一角に(中略)実大実験を実施することになった」との記述なんかもありますから、ほぼ間違いはないと思います。

 永大団地は永大産業が開発して自社製の住宅を建てて分譲したと考えて良いかな?と思います。ネットから得られる情報の範囲ではこれだと思いますが、まぁ、本当のところは永大産業に尋ねればよいでしょう。

 なんとなく、当時のものかな?と思われる古い空き家もありました。屋根の端の処理がプレハブっぽい。<写真>



 この永大団地の北東に交野市水道局の配水池建物があります。この建物のところで、道は獅子窟寺への道(参道)とつながっています。急勾配のちょっと険しい道です。スリックタイヤのMTBではとても登れそうにありませんので、獅子窟寺方面への偵察は断念し、河内森駅へ向かってやはり急勾配の道を下ります。
 道はやがて傍示峠方面へつながる道と合流し、河内森駅にたどり着きます。

 河内森からは走り慣れた道を再び忍ヶ丘へと帰りました。途中妙見口交差点から星田一丁目・三丁目の在所をを抜ける細道を府道20号線の星田駅北東の交差点へと抜けましたが、実はこの路地のような道が大阪府道154号私市太秦線 の一部区間なのです。このお話はまた次の機会にと思います。

 帰路、藤が尾の「ウグイスヤ」でロールケーキを買って帰りました。このお話もまた改めて…。

きさいちハイキングコース(2)/永大団地2009年10月25日 11時15分

 「関西ハイキングガイド」にある"きさいちハイキングセンター"のガイドには、今では聞き慣れない地名が二ヶ所記されています。



 ひとつは前のエントリーに書いた「兎ガ原」ですが、もう一つ、この地図にも記載されている「永大団地」です。

 本の記述には、「電車線を少しもどるようにして陸橋を渡り、永大団地の西端の道を行くと、池の前に獅子窟寺への登り口がある。山腹の展望台からは色とりどりの屋根を前景に、…」とあります。
 この「色とりどりの屋根」というのが、永大団地の家々なのでしょう。団地とは行っても集合住宅の団地ではなく、戸建ての家が集まっている、たとえば「○○台」というような、住宅地区なのでしょう。

地形図で見ると、この「星田山手一丁目」のこの地区が恐らく「永大団地」の事だと思います。



 1971年撮影の航空写真にも写っています。ほぼ全ての区画にすでに家が建てられているようです。これが「色とりどりの屋根」なのでしょう。




 それにしても、「永大団地西端の道」というのは、どの道の事を言っているのか、また新たな疑問が湧きます。
 いずれ実際に訪ねて行って確かめてみたいと思っています。


より大きな地図で きさいちハイキングコース を表示