きさいちハイキングコース(7)/戦前のパンフレット(2)2010年05月12日 09時49分

 戦前の磐船・私市パンフレット。今度は内側の、名所見所を解説してある方をご覧下さい。


<クリックで拡大>

 名所は今とほぼ変りないですね。
 影も形もなくなっていそうなのは、「文化農園」と「大覚山妙見」ですが、何らかの痕跡はあるのかも知れません。地元の相当な古老でもいらっしゃればわかるかも知れないのですが。

 「鮎返しの滝」の雨乞いに関する記述は、行政好みだと思って検索してみると、行政のものもありましたが、こちらのウェブサイトの記述が大変面白かったです。
「交野歴史健康ウォーク」
 ウェブサイト全体が記述も詳しく素晴らしいです。


<クリックで拡大>

 さて、ページ後半です。
 獅子窟寺に宿坊があったと言うのは驚きです。倉治の桃林については、前回のエントリーのコメントで、岩清水ゲイリーさんが現在の神宮寺地区のぶどう畑ではないか?と仰っています。「修養団関西道場」というなにやら軍国主義右翼くさい施設について、施設自体はもう無くなっているようですが、驚いたことに組織はまだ健在で、企業が研修に利用しているとか。

 名所の解説は現在と変わらず新味ありませんが、右下のカコミに記されている「いわぶねの四季たより」に「蟹狩り」「山桜桃狩り」などというものがあったのですね。蟹ってやはり沢蟹でしょう。素揚げにして食べるのでしょうか?
 キャンプなども結構盛んだったのか、私の父も友ヶ島へキャンプに出かけたと入ってました。余談ですが、その際の食料に自分で牛肉の大和煮の、なんと缶詰を作っていったと言ってました。密封はハンダ付けをしたとか言うむちゃくちゃな話で、現地で開けたら腐ってたとか言ってました。
 夏の「滝浴び」なんてのは、子供の頃にしましたねぇ。

冬の「兎狩」というのもすごいですね。どうやって狩ったのでしょう?まさか銃をぶっぱなしたんじゃないでしょうね?

 また思ったのは「いわぶね」と、ちゃんと(?)「ふね」が濁音化されていることです。昔はこう言っていたのでしょうか?昔の表記では「いわふね」と濁音化せずに表記されていても実際に読む際には「いわぶね」と濁音化することがよくあるように思います。表記と読みでは違う事がままあるように思います。断片的に調べたのですが、複合語である場合にはハ行は濁音化するみたいです。しかしここは複合語ではあるけれど地名だからということで清音化されたのでしょうか?よくわかりません。
 折りたたむとはがき程度の小さいパンフレットですが、とても楽しめます。また資料としても興味深く、競り落としたので高かったですが、その分を補っても余りある値打ちがあります。

 昭和30年代~40年代のパンフレットなども出てくれたら嬉しいのですが、あまり古色が無いので出ないのでしょうか。

きさいちハイキングコース(6)/戦前のパンフレット(1)2010年05月10日 09時33分

 黄金週間に少し長いお休み頂きました。
 この間にオークションで、戦前のものと思われる古い私市ハイキングコースのパンフレットを落札し、非常に興味深く読んでおりました。


<クリックで拡大>

 表紙のイラストや書体や色使いが昭和モダンで非常に格好良く出来上がっています。これは素晴らしい。


<クリックで拡大>

 私がまず興味を引かれたのが、路線図にかつて存在した交電磐船駅が記載されていることです。このまま駅があったらさぞや片町線からの乗り換えが便利なことだったのになぜ廃止されてしまったのでしょう?
 またこの路線図には現在の宮之阪駅(当時の中宮駅)が記載されていません、このことからWikiの記述を参考にすると、
1939年(昭和4年)(下線部ママ)5月14日 信貴電磐船駅を交電磐船駅に改称。
1940年(昭和15年)9月11日 中宮駅(現在の宮之阪駅)開業。
 とあります。前後の年代記載から括弧内の「昭和4年」という記述はミスでしょう。このことからこのパンフレットは1939年5月~1940年9月の1年4ヶ月の間に発行されたと推測できます。

 ハイキングコースの見どころの記載もあたりまえですが、現在と幾分違います。獅子窟寺や月輪の滝などおなじみのところもあります。獅子窟寺近くの百重原陵ってのは今でいう「王の墓」のことでしょうね、獅子窟寺奥の院の巨石は今も変わらずあります。
 私市駅すぐの「文化農園」とそこから月輪の滝への途中にある「大覚山妙見」というのはどこなのでしょう?月輪の滝から向こうの「金龍窟」「お月岩」というのも気になります。歩いて確かめに行ってこなくてはなりませんね。

 他にも興味の尽きない内容になっています。このパンフレットの反対側は、各名所の解説になっています。次回ご紹介いたします。

きさいちハイキングコース(5)/番外編22010年04月19日 13時43分

 守口の京阪百貨店で開催されている「京阪100年のあゆみ展」へ行ってきました。京阪電車の歴史ももちろんのことですが、最大の目的はきさいちハイキングコースに関するパンフレットの展示がないかと思ってのことです。



 しかし残念なことに私市ハイキングコースに関する記述はわずかこれだけでした、パンフレットの類の展示もありませんでした。

 私の記憶では、ハイキングコースの何箇所に立っていた案内の表示板には「京阪電車」の文字があったと思います。きっとどこかにパンフレットもあるとは思います。古本市やオークションを気長に漁ってみましょう。

 それにしても思うのですが、その時にはさして重要性を感じない、なんということのないチラシやパンフレットでも、のちのちには重要な資料となることも多々あります。庶民文化研究家の町田忍氏がたとえば甘栗の袋や売薬のパッケージ等々多くの…普通は捨てられてしまうようなものを多く収集されていますが、これなども現在でもすでに資料的価値の高いものではないかと思えます。
 十数年前にロンドンの大英博物館へ行きましたが、ちょうど「グリコのおまけ展」をやっていました。大英博物館のコレクションなのか、東大阪のコレクターからの借用なのかわかりませんでしたが、天下の大英博物館でもこういう展示をするのです。なかなか愉快なものでした。

 そう思うと京阪電車に限らず、企業でも、それから自治体でも、自分たちに関わる資料はなんでもかんでも収集して欲しいものです。私の住む四條畷市にも「歴史民俗資料館」などというものがありますが、遺跡からの発掘品や、農具ばかりで面白くありません。どうせなら「四條畷」と名のつくものはすべて収集したらどうなんでしょう?

 多少の不満とそんな思いを抱えながら守口を後にしました。