兎ガ原を探して(4)/番外編 ― 2009年10月15日 09時13分
とりあえず兎ガ原の名称は過去に存在したという事がわかりましたし、場所の特定も出来ました。
そこで、当時の写真は無いものか?とネガボックスをひっくりかえしてみたものの、兎ガ原を、もしくは兎ガ原で撮影したと思われるものを探し当てる事は出来ませんでした。引き続き探してゆくつもりです。
その代わりと云ってはなんですが、1976年に私市ハイキングコース(もっとも、ネガのスリーブには「府民の森」と記入してありました。当時できたばかりの「府民の森」という名前が目新しかったのでしょうね)で撮影した写真がありましたので、他人様にお見せできる程度の出来のものを選んで掲載します。
当時の府民の森の様子などあんまり判らない写真ですが、服装などをみると、大変懐かしい感じがします。当日の事もよく憶えておりますし、あれから三十数年が経ったなど信じられないような気持ちです。今、一人でこの場所に立ってみれば、実はすぐこの先に友だち達が歩いていて、はやく来いと呼んでいる…そんな、今が1976年かも知れないなんて感覚にとらわれるかも知れません。

これは月輪の滝の上流辺りで撮影したと記憶しています。高校一年生のクラスでハイキングに行った時の写真です。
この子は小さな手提げを持っていますが、驚いた事に当日リュックを背負っていたのは私ひとりで、他のほぼ全員が手提げ、数人がショルダーバッグという、およそハイキングには適しないバッグを持っていました。それどころか、革靴だったりまたブレザーを着ていたりと…お洒落したいという気持ちはわかるけど、とりあえずハイキングだぞ…と思ったものです。この子のオーバーオール+スニーカーなんかは、上出来な方でした。

こちらは整備されつつあった府民の森で。恐らく浮見堂だと思います、睡蓮池ほど開けた場所ではありませんでしたから。
この子は当時つきあっていた子で、彼女の写真を随分とたくさん撮ったつもりでしたが、今、ネガをチェックしてみると大した数ではなく、がっかりしています。確かに今の撮影数と当時では、感覚も違いますし経済的に制限があったでしょうから、今の物差しで当時の事を測ってはいけないのでしょうが、それにしても、少し残念です。
当時のカメラはニコマートFTnでレンズは35mmF2でした。今から考えても万能のレンズだったと思いますが、ポートレートは撮るべきではありませんでしたね。もう少し歪曲などの知識を有しておくべきでした。
フィルムはイルフォードHP4。非富士、非さくら、非コダックということで、当時数本だけ使ったものです。殆どはネオパンSSSの100フィートをカットして使っていました。この時のイルフォードで撮ったものは美しかったですね。そのトーンに驚いたものです。でもケチな高校生だった私は安価なSSSを使い続けました。
当時、現像液はミクロファインを使い、ダイヤ(樫村)のベルト式フレキシブルタンクという硬質ゴム製のタンクで現像していました。このタンクは35mm1本~3本または120ロール1本~2本、のぞめば35mm1本+120ロール1本の混在などという離れ業の現像ができ、文字通り現像本数においてもフレキシブルで非常に便利でした。
これらのネガはグリシン紙のスリーブに入れ、お菓子の缶にカビシャットとともに保存してありましたが、残念ながらカビにやられ表面がみみず腫れのようになっているものが散見されます。またこの時期から使い始めた富士のポリプロピレン?(ポリエチレン?)製のネガカバーの方は銀化しているものが散見されます。当時はアーカイバルの概念など知らない高校生でしたので、不勉強が悔やまれます。もっとも、アーカイバルの概念を知った時点で、ネガの保存方法を変えれば、こんなことにはならなかったのかも知れません。
それでもまだ、プリントは十分にできる状態にありますので、大切なコマからアーカイバル処理のプリントにして、保存しておこうと考えています。
撮った数は大したことはないとはいえ、私市ハイキングコースはいい撮影場所でした。ここで撮ったものを作品として高校の文化祭に出展したりしましたしね。
寒くならないうちにハイキングにでも出かけ、次回の「兎ガ原」エントリには、現在の兎ガ原の様子を撮影してきたいと考えています。
そこで、当時の写真は無いものか?とネガボックスをひっくりかえしてみたものの、兎ガ原を、もしくは兎ガ原で撮影したと思われるものを探し当てる事は出来ませんでした。引き続き探してゆくつもりです。
その代わりと云ってはなんですが、1976年に私市ハイキングコース(もっとも、ネガのスリーブには「府民の森」と記入してありました。当時できたばかりの「府民の森」という名前が目新しかったのでしょうね)で撮影した写真がありましたので、他人様にお見せできる程度の出来のものを選んで掲載します。
当時の府民の森の様子などあんまり判らない写真ですが、服装などをみると、大変懐かしい感じがします。当日の事もよく憶えておりますし、あれから三十数年が経ったなど信じられないような気持ちです。今、一人でこの場所に立ってみれば、実はすぐこの先に友だち達が歩いていて、はやく来いと呼んでいる…そんな、今が1976年かも知れないなんて感覚にとらわれるかも知れません。

これは月輪の滝の上流辺りで撮影したと記憶しています。高校一年生のクラスでハイキングに行った時の写真です。
この子は小さな手提げを持っていますが、驚いた事に当日リュックを背負っていたのは私ひとりで、他のほぼ全員が手提げ、数人がショルダーバッグという、およそハイキングには適しないバッグを持っていました。それどころか、革靴だったりまたブレザーを着ていたりと…お洒落したいという気持ちはわかるけど、とりあえずハイキングだぞ…と思ったものです。この子のオーバーオール+スニーカーなんかは、上出来な方でした。

こちらは整備されつつあった府民の森で。恐らく浮見堂だと思います、睡蓮池ほど開けた場所ではありませんでしたから。
この子は当時つきあっていた子で、彼女の写真を随分とたくさん撮ったつもりでしたが、今、ネガをチェックしてみると大した数ではなく、がっかりしています。確かに今の撮影数と当時では、感覚も違いますし経済的に制限があったでしょうから、今の物差しで当時の事を測ってはいけないのでしょうが、それにしても、少し残念です。
当時のカメラはニコマートFTnでレンズは35mmF2でした。今から考えても万能のレンズだったと思いますが、ポートレートは撮るべきではありませんでしたね。もう少し歪曲などの知識を有しておくべきでした。
フィルムはイルフォードHP4。非富士、非さくら、非コダックということで、当時数本だけ使ったものです。殆どはネオパンSSSの100フィートをカットして使っていました。この時のイルフォードで撮ったものは美しかったですね。そのトーンに驚いたものです。でもケチな高校生だった私は安価なSSSを使い続けました。
当時、現像液はミクロファインを使い、ダイヤ(樫村)のベルト式フレキシブルタンクという硬質ゴム製のタンクで現像していました。このタンクは35mm1本~3本または120ロール1本~2本、のぞめば35mm1本+120ロール1本の混在などという離れ業の現像ができ、文字通り現像本数においてもフレキシブルで非常に便利でした。
これらのネガはグリシン紙のスリーブに入れ、お菓子の缶にカビシャットとともに保存してありましたが、残念ながらカビにやられ表面がみみず腫れのようになっているものが散見されます。またこの時期から使い始めた富士のポリプロピレン?(ポリエチレン?)製のネガカバーの方は銀化しているものが散見されます。当時はアーカイバルの概念など知らない高校生でしたので、不勉強が悔やまれます。もっとも、アーカイバルの概念を知った時点で、ネガの保存方法を変えれば、こんなことにはならなかったのかも知れません。
それでもまだ、プリントは十分にできる状態にありますので、大切なコマからアーカイバル処理のプリントにして、保存しておこうと考えています。
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コメント
_ aspiringtundra247.snack.ws ― 2017年07月31日 13時45分
_ Foot Problems ― 2017年08月01日 02時29分
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