兎ガ原を探して(1)/追憶編2009年10月11日 20時39分

大阪府みどり公社から拝借
 先週、くろんど池でBBQをしました。くろんど池は昔からの行楽地ですから、私の住む北河内地域で子供時代を過ごした人は、大概、学校の遠足などでいった経験があると思います。

 私市ハイキングコースと言うくらいですから、普通、京阪電鉄交野線の終点、私市駅から歩いてゆきます。恐らく、京阪沿線の人たちはそうやって行った事でしょう。

 私たちは国鉄片町線の沿線でした。京阪電鉄交野線とは国鉄河内磐船駅で約300m離れた京阪河内森駅で乗り換えますが、私市駅は河内森駅から一駅で、それも大した距離ではありません。ですから私たちは河内磐船駅から歩いて行くのです。

 くろんど池へ始めていったのは、小学五年生の遠足でした。先に行ったように河内磐船駅からあるいて行くのですね。小学生とすれば結構な距離を歩いたものです。

 歩いて行く途中、くろんど池まであと少しというところに、「兎ガ原」という場所がありました。それほど広くもない草原で、本当に小さい小川が流れていて、小学生の私は随分とそこが気に入ってしまいました、なんだか絵本や童話によく出てくる草原を想像した時のイメージにとても近かったからです。

 すっかり私市ハイキングコースが気に入ってしまった私は、その後中学生になってから、何度もハイキングに出かけます。思い出してみれば、中2の頃に初めてつきあった女の子とも、そこへ行きました。

 その後、私市ハイキングコース一体は大阪府の府民の森としての整備が始ります。あたらしいハイキングコースも整備され、プラスティック製の妙ちきりんなキノコ型の四阿なんかも設置されたりしました。随分とあるきやすくなったものです。ちなみに高2の時につきあった女の子もここへ引っ張り出しました。代わり映えしないワンパターンでしたねぇ。

 兎ガ原は府民の森整備が始った頃にはその名前が消えてしまい、その様子も変わってしまったように思います。高校生の頃にはもうあまりその記憶が無くなってしまっていたのです。

 私は小学生の頃から写真を撮るのが好きでした。中学2年の時にニコマートFTnを買ってもらい、その後引伸機も買ってもらって、写真三昧の日々が始ります。毎日毎日写真の事ばかり考える日々が続いていましたが、その頃から私は「兎ガ原」について一つの念慮に取り憑かれ始めます。

*写真は大阪府みどり公社の発行している案内地図です。「くろんど園地」なんて名前を付けているのに、その名前のもとになったくろんど池は奈良県にあるせいか、割愛されてしまっています。おおいに違和感を感じます。

兎ガ原を探して(2)/妄想編2009年10月12日 20時08分

ネットから探し出しました。
 さて、写真を撮っていた私が、兎ガ原の景色から妄想したのは、この兎ガ原の小川に「女の子を流したらきれいだろうな」と云うことです。

 女性が川を流れて行くというのは、云うまでもなくシェイクスピアのハムレットに登場する「オフィーリア」ですが、当時中学生の私は有名なミレーの絵画はおろかハムレットも、題名とあらすじは知っていたものの内容は知りませんでした。
 ですから、集合無意識とは云いませんが、なにかシンクロニシティがあったのかも知れませんし、過去にそのイメージとの接触があったのかも知れません。

 「流したらきれいだろうな…」と思っていた女の子は、当時つきあっていた子ではなく、同じクラスのEという子でした。
 なぜ、彼女だったのか…その頃は自分でもわかりませんでした。このことをずっと忘れたことはありませんでしたが、なぜ、彼女なのか相変わらずずっとわかりませんでした。

 彼女は確かに大人っぽく当時の私から見れは充分にセクシーでした。だからそんな妄想の対象になったのかも知れません。

 そう思いながら35年、最近、もしかしたら?と思う事に行き当たりました。きっとそうでしょう。それはその年の夏、林間学舎が和歌山の山の中であり、川で泳いだ事があったのですが、そのときE子さんと妙に親しくなっていたのでした。彼女は少し小さくなってしまった水着を着ていて、体の線がくっきりと。ませた子供の私はひどくドキドキしたものでした。今で言うところの「萌ぇ~!」ですね。それから、きっと彼女は無意識下で私のセックス・シンボルとなったのでしょう。

 故に、この兎ガ原の小川に彼女を流したらきれいだろうな…と、そんな妄想を持つようになったのでしょう。林間学舎の時も川にいるE子さんを「萌ぇ~」と見ていた訳なのですから。

 絵画のオフィーリアはさして艶めかしく描かれては居らず、とくに最も有名なミレーのものは鬼気迫るものであまり艶気は感じられません。しかし他にはいくつかセクシーなものもありますし、そのオフィーリアにインスパイアされたと云われている、鏑木清方の描く金色夜叉の挿絵にある「お宮水死図」が、もっとも艶めかしく素晴らしいように思え、私がずっと抱いているイメージにも近いものがあります。

 泉鏡花の作品のなかにもなにかそんなイメージが描かれていたように思うのですが、今、どうしても思いだせませんし、ネットを検索してもさっぱりわかりませんでした。

 いずれ…と云っても、さして時間は残っていないように思えますが…あのイメージを形にして撮影してみたいと思っています。現実の兎ガ原ではもう無理でしょうから、妄想の中の兎ガ原と似た場所を探して…。

 妄想は今も膨らみ続けています。

 *写真はネットから拾った鏑木清方の「お宮水死図」

兎ガ原を探して(3)/特定編2009年10月13日 13時28分

 さて、そんな「兎ガ原」*(注1)ですが、今ではもう「兎ガ原」の呼び名が消滅してしまっているようです。しかし当時は京阪電鉄の立てた看板があったように記憶しています。

 私市駅から歩き始め、月輪の滝を越えると「兎ガ原を経てくろんど池」という小さな立て札が立ててあったように思っているのですが、定かではありません。ネットを検索しても、まったくそんな記述がヒットしませんでした。
 それどころか、本当に「兎ガ原」があったのかどうかさえも、証明するものが無く、確信はしていたものの、次第に自信は失われて行きました。
 そこで、古いハイキングガイドや京阪のパンフレットなどに記述がないのだろうか?と思いたち、まずは印刷物を探す事にしました。折しも天満の天神さんと天王寺さんの境内で古本市が開かれています。お天気も良い事ですし、ガイドブックかパンフレットの類いが出ていないが探しに行ってきました。

 はたして、うまい具合にガイドブックが見つかりました。昭和52年(1977年)9月20日発行の創元社「関西ハイキングガイド」には地図*(注2)が掲載されています。(クリックで拡大)



 この地図にはちゃんと「兎ガ原」と記載されています。そして兎ガ原に関しては、ガイドの文中にこう書かれています。

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~睡蓮の浮かぶ人工池を過ぎると、小松の美しい兎ガ原の高原になる。そしてたんぼが見えて、くろんど池に着く。
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 この記述と記載の地図と私の記憶から、地形図を見てその位置を推測すると、下の1/25,000地形図の緑色に塗ったあたりが「兎ガ原」では無いかと思われます。(クリックで拡大)



 確かに、水路があり南側には針葉樹林が在り、くろんど池近くには水田が存在しますから、私の記憶と合わせても、おそらくここが「兎ガ原」であると思われます。
 Googleの衛星(航空?)写真で見てもよくわかります。(クリックで拡大)



 これで「兎ガ原」がやはり確かに存在する事がわかり、随分と胸のつかえが取れました。
 それにしても、どうしてこの地名が消えてしまったのでしょうか?おそらくコースを整備した京阪電鉄が勝手に付けた地名なのでしょう。大阪府が府民の森を整備するにあたって、本来ではない地名は顧慮しなかったのだと思います。なんだかもったいない話しだと思いますね、せっかくの可愛い名前なのに。

 このエントリを書くにあたって、当時の兎ガ原の写真は無いかとネガボックスをひっくり返してみましたが、残念ながら該当するコマは発見できませんでした。その替わりと言ってはなんですが、遠足で出かけたりした時に取ったモノクロのネガが少しだけ出てきましたので、次回はそれをアップしてみたいと思います。



*(注1)「うさぎがはら」の表記については、ここで引用した創元社のガイドブックでの表記「兎ガ原」に統一しました。以前のエントリもさかのぼってそう表記してあります。

*(注2)地図上には「交野町」と記載されていますが、この本の発行時点(昭和52年/1977年9月20日)では、交野は既に市制を施行しています。この本の第三版への改訂は昭和50年/1975年1月20日ですが、この時点でもすでに交野は市制施行しています。交野市の市制施行は昭和46年/1971年11月3日です。この本の初版第1刷は昭和41年/1966年10月20日で、この時点での地図をそのまま使い続けていたようです。

*【追記】「私市ハイキングコースを京阪電鉄が整備した」という記述は、アサヒ・コムのこちらの記事にあることがわかりました。