兎ガ原を探して(2)/妄想編2009年10月12日 20時08分

ネットから探し出しました。
 さて、写真を撮っていた私が、兎ガ原の景色から妄想したのは、この兎ガ原の小川に「女の子を流したらきれいだろうな」と云うことです。

 女性が川を流れて行くというのは、云うまでもなくシェイクスピアのハムレットに登場する「オフィーリア」ですが、当時中学生の私は有名なミレーの絵画はおろかハムレットも、題名とあらすじは知っていたものの内容は知りませんでした。
 ですから、集合無意識とは云いませんが、なにかシンクロニシティがあったのかも知れませんし、過去にそのイメージとの接触があったのかも知れません。

 「流したらきれいだろうな…」と思っていた女の子は、当時つきあっていた子ではなく、同じクラスのEという子でした。
 なぜ、彼女だったのか…その頃は自分でもわかりませんでした。このことをずっと忘れたことはありませんでしたが、なぜ、彼女なのか相変わらずずっとわかりませんでした。

 彼女は確かに大人っぽく当時の私から見れは充分にセクシーでした。だからそんな妄想の対象になったのかも知れません。

 そう思いながら35年、最近、もしかしたら?と思う事に行き当たりました。きっとそうでしょう。それはその年の夏、林間学舎が和歌山の山の中であり、川で泳いだ事があったのですが、そのときE子さんと妙に親しくなっていたのでした。彼女は少し小さくなってしまった水着を着ていて、体の線がくっきりと。ませた子供の私はひどくドキドキしたものでした。今で言うところの「萌ぇ~!」ですね。それから、きっと彼女は無意識下で私のセックス・シンボルとなったのでしょう。

 故に、この兎ガ原の小川に彼女を流したらきれいだろうな…と、そんな妄想を持つようになったのでしょう。林間学舎の時も川にいるE子さんを「萌ぇ~」と見ていた訳なのですから。

 絵画のオフィーリアはさして艶めかしく描かれては居らず、とくに最も有名なミレーのものは鬼気迫るものであまり艶気は感じられません。しかし他にはいくつかセクシーなものもありますし、そのオフィーリアにインスパイアされたと云われている、鏑木清方の描く金色夜叉の挿絵にある「お宮水死図」が、もっとも艶めかしく素晴らしいように思え、私がずっと抱いているイメージにも近いものがあります。

 泉鏡花の作品のなかにもなにかそんなイメージが描かれていたように思うのですが、今、どうしても思いだせませんし、ネットを検索してもさっぱりわかりませんでした。

 いずれ…と云っても、さして時間は残っていないように思えますが…あのイメージを形にして撮影してみたいと思っています。現実の兎ガ原ではもう無理でしょうから、妄想の中の兎ガ原と似た場所を探して…。

 妄想は今も膨らみ続けています。

 *写真はネットから拾った鏑木清方の「お宮水死図」