クロレラヤクルト2010年02月18日 00時00分



 先日、空堀の路地を歩いておりますと、こんなヤクルトの宅配箱とでも言うのでしょうか?牛乳じゃないから牛乳箱と言うのもおかしいし、まぁヤクルト箱とでも言うべきものを見つけました。すでにプラスティック製で今でも時々見かける木製の牛乳箱よりもずっと新しい感じのするものですが、今は風雨にさらされて、すっかり古びてしまっています。

 「クロレラヤクルト」と書いてあります。そういえば「クロレラヤクルト、ヤック~ルット」とか言ってTVCMを流していましたね。
 「なんでクロレラ?」と思って検索してみますと、「ヤクルト菌をクロレラ溶液を培地として使用しており…云々」それでもよくわりませんが、まぁそういうことなのでしょう。
 昔懐かしいマークも入っていますが、これは創始者である代田博士の名前を図案化したものだそうです。上下左右はカタカナの「ロ」を図案化したもので、中心が漢字の「田」。
 はいもうお分かりのように「4ロ田」ってことで「シロタ」=「代田」…バンザーイ!

 この時期にはヤクルトもまだガラス瓶に入っていたように思います。あんまりヤクルトの記憶と言うものが無いのですが。

型板ガラス(2)/空堀で探索する(1)2010年02月20日 00時00分

 私の実家は、いまはもう取り壊してしまいましたが、初代の木造平家建は昭和35年頃に建てられたものでした。瓦屋根で外壁は焼板貼りでした。

 窓ガラスには全て模様の着いたガラスがはめられていましたが、それを「型板ガラス」と呼ぶと分かったのはつい最近の事で、実に、実家のガラスのことを私は49年間なんと呼ぶのか知らず、また興味も持たなかったという事です。なんとまぁ怠慢な事でしょう。

 さて、一度知ってしまうと懐かしさも手伝って、俄然型板ガラスに興味が出てきました、古い型板ガラスは何処へ行けば見られるだろうかと考えていたとき、ふと、空堀の民家に、昔の実家と同じ面格子を見つけて喜んでいたことがあったなぁと思い出し、古い面格子があるなら古い型板ガラスもあるだろうと思い、さっそく空堀へ出かけてきました。

 結局、面格子は自分がそこだと思っていたところには無く、やっと見つけてみれば、似てはいるけど全く同じと言うものではありませんでした。自分の記憶のいい加減さにトホホとなりました。ところが、なんとなくここに面格子がありそうだと入ってみた路地に、なんとまぁ全く同じ面格子が入っていまして、今度は自分の嗅覚の良さに逆上せ上り、プラスマイナス若干プラスになった気分でした。(もっとも、実家のものと同一と思っていますが、もしかしたらその記憶自体が間違っているかも知れません、なんせ、当初の面格子の記憶がこの様でしたから)

 さて、そもそも「型板ガラス」とはなんぞやと言うことになるのですが、先の中崎町パラボラのエントリの中でご紹介した、こう云うものがそうです。



百科事典マイペディアによると
板ガラスの片面に各種の型模様の凹凸をつけたもの。表面に型を刻んだロールを用いてロールアウト法で製造する。光線を散乱させて室内に明るく柔らかい感じを与え,透視を防ぎ,美観も添える。
と記述されています。

 昭和30年代から40年代にかけて盛んに生産されていたようですが、現在では殆ど生産されていないようです。道理で懐かしい感じがするはずです。

 少しだけ暖かかった2月13日、私は迷宮のごとく交錯する空堀の路地を犬のようにうろついて来ました。

型板ガラス(3)/空堀で探索する(2)2010年02月21日 00時34分

 さて空堀で見つけた型板ガラス、図鑑的に並べて行きましょう。

 くどいですが、まずは一番懐かしい日本板硝子の「からたち」

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 日本板硝子の「このは」

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 日本板硝子の「ときわ」
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 日本板硝子の「まつば」
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 日本板硝子の「みどり」
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 こうしてみると「このは」なんてのはいま見てもずいぶんとモダンな感じに見えますし、「ときわ」「まつば」などは和風で古い家にも似合いそうです。なつかしい「からたち」は使い方次第でモダンにもシックにもいけそうです。「みどり」も十分にいまでも通用する可愛さ。
 これらのガラスがなくなってしまったなんで、それは一体どういう理由からなのでしょうか?大変惜しいように思えます。