冬の金沢逍遥【8】 ― 2011年03月18日 00時00分
ところで、金沢へ到着してからずっと、どの写真も良い天気であることにお気づきでしょう。この時期では珍しいくらいの上天気なんだそうです。行く先々で、バスの運転手さんに到るまで「本当に運がいいよ、こんなお天気はこの時期滅多にありません」と言われてしまいました。
しかし僕は、実は陰鬱で薄暗い北陸の冬を味わいに来たのでした。しかし金沢の人たちはどのひとも実に晴れ晴れと「本当によかったですよ」と言います。まさかそこへ「灰色の冬がいい」なんては言えません。「そうですかぁ!いやぁ本当によかったよかった」とついつい付和雷同してしまうのでした。
さて、浅野川を渡って東茶屋街に向かいます。観光客が歩く道を避けて川沿いの路地から入ります。

観光客が土産に白米や雑穀や各種粉を買ってゆくとも考えにくいので、これはやはり住民向けのお店なのでしょう。店構えは変えないでいるうちに名物になったのではないか?そんな想像をめぐらせてみたりします。

おお、ここは例の喫茶店だ。少し時間も経ったことだし入って休憩しよう。
店内は思いの外狭かったが、禁煙で子連れ&修学旅行客お断りというところで好感度が上がります。お茶の味はまぁまぁだけれど、全体的にちょっと煙たい印象の金沢にあって、この空間は大変貴重。ぜひまた次回も訪ねてみたいと思います。
しばしの休息の後、今までの道程でもそうしてきたように、ローライフレックスで撮影にかかります。このように少しそれらしく造られた観光地は撮影しにくいものですが、それでも露路のそこかしこに魅力的な一隅を見つけることができ、楽しいものです。
けれども僕は常に満たされない気持ちで路地を撮影しているます。それはこんな露路に敬愛するシュルレアリスト、Paul Delvauxのごとく裸婦を配して作品を作りたいからです。たとえば篠山紀信が1990年にTokyo Nudeで撮ったような。だがなかなかそのみちは険しいでしょう。
特に廃村でもなくて窓に灯りの点もる生きている街の夕暮れ時となるとその困難さは想像に難くありません。撮れるチャンスは永遠にないでしょうが、それでも撮れることを夢みます。ですから、常に満たされない気持ちで撮影しているのでした。

一風呂浴びてゆきたいところですが、残念ながらまだ開いていませんでした。洗い髪の芸妓などが暖簾をくぐって出てくることはあるのでしょうか?
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<つづく>
しかし僕は、実は陰鬱で薄暗い北陸の冬を味わいに来たのでした。しかし金沢の人たちはどのひとも実に晴れ晴れと「本当によかったですよ」と言います。まさかそこへ「灰色の冬がいい」なんては言えません。「そうですかぁ!いやぁ本当によかったよかった」とついつい付和雷同してしまうのでした。
さて、浅野川を渡って東茶屋街に向かいます。観光客が歩く道を避けて川沿いの路地から入ります。

観光客が土産に白米や雑穀や各種粉を買ってゆくとも考えにくいので、これはやはり住民向けのお店なのでしょう。店構えは変えないでいるうちに名物になったのではないか?そんな想像をめぐらせてみたりします。

おお、ここは例の喫茶店だ。少し時間も経ったことだし入って休憩しよう。
店内は思いの外狭かったが、禁煙で子連れ&修学旅行客お断りというところで好感度が上がります。お茶の味はまぁまぁだけれど、全体的にちょっと煙たい印象の金沢にあって、この空間は大変貴重。ぜひまた次回も訪ねてみたいと思います。
しばしの休息の後、今までの道程でもそうしてきたように、ローライフレックスで撮影にかかります。このように少しそれらしく造られた観光地は撮影しにくいものですが、それでも露路のそこかしこに魅力的な一隅を見つけることができ、楽しいものです。
けれども僕は常に満たされない気持ちで路地を撮影しているます。それはこんな露路に敬愛するシュルレアリスト、Paul Delvauxのごとく裸婦を配して作品を作りたいからです。たとえば篠山紀信が1990年にTokyo Nudeで撮ったような。だがなかなかそのみちは険しいでしょう。
特に廃村でもなくて窓に灯りの点もる生きている街の夕暮れ時となるとその困難さは想像に難くありません。撮れるチャンスは永遠にないでしょうが、それでも撮れることを夢みます。ですから、常に満たされない気持ちで撮影しているのでした。

一風呂浴びてゆきたいところですが、残念ながらまだ開いていませんでした。洗い髪の芸妓などが暖簾をくぐって出てくることはあるのでしょうか?
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<つづく>
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