生駒聖天宝山寺初詣(6)/近鉄生駒鋼索線2010年01月15日 14時28分

 「近鉄生駒鋼索線」などと書きますと何それ?みたいな事になってしまいますが、通称「生駒ケーブル」です。  今年も宝山寺参詣のために往復ともケーブルに乗りました。




 ケーブルカーの車両に乗務するのは車掌さんです。運転士は宝山寺駅に居て、そこに設置してある巻き上げ機をコントロールします。車掌さんは、ドアの開け閉めや非常の際の対処のためなど、普通の鉄道の車掌さんと同じ任務を負っています。
 この写真の車掌さんはとても愛想の良い方で、たまたま行きも帰りもこの方だったので、帰りは仕事のお邪魔かと思いつつも、話しかけてみました。この宝山寺線や山上線の古い車両のことや保存場所などを良くご存知で、私だけではなく反対側にいた親子連れの子どもたちにも、自動車の渡れるケーブルカーの踏切は珍しいんですよなど話されていました。



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 その珍しい踏切がこれです。鳥居前3号踏切。ちょうど上り下りのケーブルカーが行き違いをする複線区間に設けられていますが、実はこれには意味があるとのこと。

 下の二枚の写真を見てみてください。




鳥居前3号踏切。




鳥居前2号踏切。


 生駒ケーブル宝山寺線は、1号線、2号線と、単線のケーブル軌道が二つ並べられている構造ですので、それぞれ一見、複線、行き違い区間は複々線に見えますが、そうではありません。  さて、複線区間だとそのレールの間を通るケーブルは1本だけですが、単線区間だと2本のケーブルが通っています。と言う事は2本通す幅のある溝が必用になるわけで、そうなると自動車のタイヤがケーブルに接触してしまうしまう恐れがあるわけです。ですから、自動車が渡れる踏切は、行き違い区間に設けられている訳ですね。

 もうひとつ面白いことを。上の写真の踏切、片方のレールが隙間なく埋め込まれていますね。これはこの上を通過する車輪にフランジがなく、ただのローラーみたいな形状をしているからなんです。反対側の車輪はちゃんとフランジが付いて溝になっており、これでレールを挟んでいます。なぜ、そんな構造になっているのかというと、行き違い区間の分岐から可動する部分を省くためです。

その説明はこちらに詳しく説明されています。



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 こちらが鳥居前2号踏切の全貌ですが、素晴らしいロケーションです。この右手のお屋敷。門を出たらすぐにケーブルカーの踏切です。こんなお屋敷に住んでみたいものです。

 さて、楽しい車掌さんとのケーブルの旅も終わり。生駒駅で十三焼餅を買って近鉄に乗りましょう。
 料金は高いのですがけいはんな線~地下鉄中央線に乗って、JRおおさか東線高井田中央へゆくと若干はやく帰れます。しかし近鉄でゆくと石切~枚岡間の大阪平野の眺望が良いもので、これを目当てについつい近鉄に乗ってしまい、帰路に着きました。

 その眺めはこんなのでした。


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<おわり>

コメント

_ 山本龍造 ― 2010年01月15日 18時30分

こんなロケーションのお屋敷があるとは…びっくり。なんともええ風情ですね。ずっとこのままであってほしいですね。色々勉強になりました。

_ たのけのあむら ― 2010年01月17日 23時46分

>山本龍造 さん

 ケーブルカーで上がっていくときに、いつも良いところにあるなぁと思っていました。個人のおたくなのでしょうか。会社の保養所っぽい雰囲気もあります。
 ほんとにいい場所にありますよね。

 こういうケーブルカーとか、路面電車とか、速度の遅い鉄道の脇に住みたいなぁと今でも思います。私の家は比較的駅に近くて電車の音が聞こえるのですが、昔は、ザーッと言うブレーキの音やウィーンと言うモーターの音が聞こえたのが、今はディスクブレーキで時々キーっと言う程度、モーター音は例のインバータの音になって、時代が変わったなぁとつくづく思います。車掌さんの笛も、放送に変わっちゃいましたしね。
 蒸気機関車C11が定期の貨物列車を牽いて走ってもいたんですよ。

_ 山本龍造 ― 2010年01月18日 11時29分

私はね、幼少の頃「国鉄沿線に住みたいなぁ」って思っていました。
貨物列車を日常の光景として楽しみたかったという。ま、今は貨物もコンテナばかりでもひとつおもろないんですけど。

で、
>>蒸気機関車C11が定期の貨物列車を牽いて走ってもいたんですよ。

って…そんなんあったんですね。C11とは。片町線を…ですか?それとも城東貨物線で?
私はD51が関西本線で1日1往復の貨物列車を引いていたことしか知りません。
ほか、夜中に便所にいったら、「ポー」って汽笛が聞こえたのも懐かしい思い出です。あれは…龍華操車場から聞こえていたのでしょうかね。10キロほど離れたところに住んでいましたが。

_ たのけのあむら ― 2010年01月18日 22時19分

>山本龍造さん

 ほんとに貨物はコンテナばかりになってしまいましたね。そうは言っても私の子供の頃の片町線の貨物列車も、普通の有蓋車と無蓋車、たまにタンク車ってところで、図鑑で見た通風車とか家禽車、家畜車なんてものを見たいなぁと思っていました。貨物見られるだけも幸いだったのに贅沢な子供でしたね。逆に「戸口から戸口へ国鉄コンテナ」なんてのを見ると喜んだりと。勝手な子どもでもありました。
 定期列車は朝は確か7時50分ごろに忍ヶ丘を通過する上りがあったように思うのですが。おそらく木津行きだったと思います。四条畷駅の4番ホームにはよくC11が停っていました。気の良い機関士さんなんかが中をのぞかせてくれたりしましたよ。昭和もすで40年代でしたが、それでもノンびりしていたなぁと思います。
 関西線はD51だったんですね。さすがに本線です。夜中だと風向きによっては10kmくらいは汽笛が聞こえたのかも知れませんね。龍華の操車場はディーゼル機関車のネームに入っていて、子供の頃は名前は知っているけれど、とても遠いところのように思っていました。きっと当時は壮観だったんでしょうね。

_ 山本龍造 ― 2010年01月18日 23時28分

そうそう“戸口から戸口へ・国鉄コンテナ”って書いてあるのが何か嬉しくて。冷蔵コンテナは白でしたね。で、そのコンテナを見ていた頃は、小学校も低学年でして、“戸”と書いてあるから勝手に“神戸から神戸へ”って」読んでましたね。アホ丸出しな話ですが。

で、龍華の操車場は…よかったですね。もう完璧に今思えば“古き良き時代”で。
勝手に連れらと操車場の中まで入って転車台脇に止まっているD51の運転台上ってフットスイッチ踏んでプッシュー言わせてカマのフタ開けて豆炭放り込んだりして遊びました。
で、不思議と…というか当然というか、その当時の大人は誰も怒りませんでしたね。ま、万が一、事故があっても「うちのアホが勝手なことしてすんませんなぁ」と親が言ってたでしょう。

で、その頃撮った「D51906」とか「々831」とかを検索にかけると…ちゃんと当時の写真が出てくるんですね。同じ時代に々様なところをうろついていた人々と繋がることができる…不思議な時代です。

_ たのけのあむら ― 2010年01月21日 18時26分

>山本龍造さん

 すごい経験をおもちですね。確かに昔はそういう事ってありましたね。私も一度だけですが、片町線の電車で、バーで区切られただけの運転台の横に入れてもらった事が有ります。なんでも昔が良いとは言いませんが、確かに良いこともありましたね。

 おっしゃるように。ネットはまるでタイムマシンで、おぼろげな昔の記憶をはっきりと正確に整えてくれるように思います。そして、ほんとうに、同じ時代に同じような場所にいたことも。

_ タクロウ ― 2010年04月24日 16時04分

僕は生駒山のケーブルカーに乗って踏切を5ヶ所通過した。全国のケーブルカーには踏切があるのは珍しいな。歩行者専用の踏切は真ん中にケーブルがあるので注意しないとダメなんだ。僕は信貴山のケーブルカーに乗りたい。どうしてケーブルカーに踏切があるのかとても不思議なことだ。

_ たのけのあむら ― 2010年04月24日 23時46分

>タクロウさん

 はじめまして。
 踏切を5ヶ所通過されたと言うことは、山上線も乗られたのですね。
 僕はもうあの踏切が大好きで、霞ヶ丘の踏切ではケーブルカー自体の姿は見えないのに、ロープが動いていたりしてとても妙な感じがしたものです。

_ How long do you grow during puberty? ― 2017年09月04日 02時07分

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