四日市・三和商店街【7】【終】2013年08月26日 00時00分



 ちょうどこの写真を撮影している時に後ろから「暑いのにご苦労さんやねぇ」と声をかけられました。とっさの事で、「あ、いや、はぁ、げへへへへへへ…」としどろもどろな返事をしてしまったのですが、この先の右側角の「よりみち」というお店に入っていかれました。お住まいなのか、今日もお店を開けられるのか?さっきの挨拶に他意はないのか嫌味なのか…?



 こういうところばかり撮影して歩いていると、二度目の訪問がかなわないことが少なからぬ回数あります。まもなくなくなってしまうところの風情が自分を惹きつけるのでしょう、だからときどき自分が死神のように思えてくることがあります、自分が訪問すると遅かれ早かれその場所は消えてなくなってしまう、そんな気がします。  一方そういう風情だから撮影に行くというのもなんだかそこに暮らす人に対して残酷な行為のように思えることがありますしまた失礼なことのように思える時もあります。
 しかし、先日、寺田町の下町にある父の実家を気合を入れた機材で撮影に行ったら更地になってて脚の力が抜けたことがあります。なんでもっと早くに写しておかなかったのか、自分じゃなくてもいい、誰かいい作品にして残してくれてないだろうか?そう思いました。自分がアマチュアの写真作家だからそう思うのでしょうか?いや、そうじゃなく、その家で少なからぬ日数を過ごした、当事者の一人としてそう思ったのです。
 これで迷いはほぼ無くなりました。咎められない限り写そうと。

 今まで歴史というのは、権力者が都合のよいことばかり書き散らしただけのものでしたが、この先はネットで、我々庶民のなんということのない暮らしもネットで「歴史」として書き残されてゆく時代です。やっと我々庶民が歴史を記述する時代になったのです。そう思うと記述に間に合ったことは悪いこっちゃ無いかも知れんと思います。それが興味本位の野次馬根性でも。



 型板ガラス「からたち」が破れていました。繕ったけれどまた破れてしまったという感じ。

 店のママらしき人の挨拶をきっかけにいろいろと考えながら、三和商店街を後にしました。
 それにしてもここ、前職でケアしていた生徒たちの名前がずらずら…ここに4人います。当時のメンツが12人でしたから、1/3か?!



 最後に駅前の時計を。撮影したのは10:14でした。さすがにこれはいただけない、きちんとしておくべきでしょう。

<おわり>