四日市・三和商店街【3】2013年08月22日 00時00分

 さて、低い天井をくぐり抜けてみると、そこは光の空間でした。この木造アーケードが、あちこちの同様の建物と非常によく似ているように感じます。当時の主流だったのでしょうか?どこのアーケードもプラスティックの波板張りですが、建設当初にプラスティックの波板ってのが存在したのかどうか?ちょっと調べてみたのですが、今のところわかりません。
 それにしても素晴らしい天井です。



 通路右側においてあるパイロンには「四日市市」と書かれています。ということは、この通路は公共の道路なのかも知れません。右側の建物が半ば倒壊しているようでブルーシートが掛けられていますが、それも大分風化してしまっています。

 

 振り返ってみると「鳥金」と書かれた渋い看板が掛けられています。今、この通路の左右は全て飲み屋になっていますが、昔は「商店街」の名の通り、小売店が軒を並べていたのでしょう。
 現在、三和商店街の画像を検索しても、栄えていた頃の写真が全くヒットしません。これは下渕マーケットやまたいずれ記述したいい思っていますが、東大阪市の「鴻池商店街」も同様で、往時を偲ぶ映像が全くなく無いのは残念です。こうしてあるところで有名になってしまったのもその寂れっぷりと昭和の佇まいゆえなのでしょうから、致し方のない部分があるのでしょう。でも、やはり往時の画像を見てみたいものです。

 

 中央通路北端から南を写しています。パイロンの「四日市市」の文字が読めます。また「頭上注意」の張り紙があります。マンホールがありますがもしかして下水道が通っているのでしょうか?

 市当局としては、ぶっ潰してしまいたいでしょうねぇ、こんな厄介な建物群は。実際、どこの街でもぶっ潰されてしまっていますし。それにここまで傷んでしまうとリノベーションは難しいでしょう、崩れ去るのを待つしか無いのかもしれません。

<つづく>