木曽開田的日乗/復路2011年01月03日 23時59分

 正月休みもあっという間に終了。

 昔は夏休みなんかだと二週間とってゆったりと過ごしたものですが、磊落してからは休みも余り取れず、正月休みも5日だけで、外には漏らしませんが内心は結構惨めな思いをしています。
 おまけに歳をとって何もかもが鈍くなってしまい、ますます残り少ない時間を無駄に潰すことになってしまいます。急ぐと絶対にミスをしてしまうし、どうしても時間が多くかかってしまいますね。

 そんなわけで、大阪までのたった350kmを一日かけて帰る事にしました。朝の10時に出発です。帰路はもう木曽福島の街へも寄らず、ひたすら19号線を中津川目指して走りますが…やはり、腹の虫が騒いで、道の駅賤母へ立ち寄りました。
 道の駅賤母は、以前は長野県木曽郡山口村だったのだが、県をまたいでの合併で中津川市に編入されました。もともと中津川市との結び付きが強く経済的にも完全に中津川の圏内です。また行政手続きなんか木曽郡の中心である木曽福島町(現在は木曽町)まで出かけなければならない不便があり、県庁のある長野市なんて、特急に乗っても数時間かかります。中津川市ならもう目の前ですから、村民が中津川と合併したいという気持ちを持つのは当然…というか、気分的にも中津川市民みたいなものでしょう。
 当時の県知事、田中康夫は当初難色を示していたものの後に一転して合併を受け入れ、長野県と岐阜県の県境が変わったのでした。

 前置きが長くなりましたが、そんな訳で、岐阜県となった道の駅賤母は、木曽の産物だけではなく、美濃や飛騨の産物まで扱うようになりました。これはこれでなかなかバラエティに飛んでいて悪くありませんでした。また地元中津川の特産の開発にも力を入れているようでした。面白かったのは地元産の唐辛子で「あじめ」というそうですが、かなり辛い赤唐辛子です。

 道の駅賤母で長居をしてしまい、あたふたと中央道中津川ICを目指します。一般道はスムース。高速道路は若干車が多いですが、渋滞したり速度が落ちたりすることはありませんでした。

 名神高速に入ってからはまたまた尾張一宮P.Aへ立ち寄り、ここのスターバックスコーヒーで軽食とコーヒーを買い求めました。



 再びのろのろと走りだして高速道路を行きますが、おお、栗東までも所要時間がグリーンだ、渋滞にあわずに走れるなぁとうかうかしていましたが、京都へ近づくに連れ、オレンジ表示がじわじわと東へ進んできます。とうとう栗東までの所要時間もオレンジ表示になってしまいましたが、まぁどうせすいていてものろのろ走って時間がかかるのですから同じことです。
 結局ちょっと混雑しただけで無事に瀬田東から京滋パイパスへ入り、第二京阪へ進んで帰ってきました。結果として往路と同じくらいに時間をかけて帰ってきました。

 途中、対抗する上り車線では追突事故に寄るひどい渋滞が二度ほど起こっていました。ああいうのは車間距離をちゃんと取らないから起こるのであって、なんであんなに車間を詰めて来るのか理解に苦しみます。
 なにはともあれ、無事に大阪に帰りつきましたが、帰ったら電気温水器が死んでいました。ああ、なんという幸先の悪さ。お茶を飲む暇もなく修理に取り掛かり、お正月休みは暮れたのでした。