下渕マーケットへの旅(3)2010年07月02日 00時00分

 撮影を続けつつも身を固くして耳に神経を集中していましたが、足音は途中で止まってしまい、近づいてくる気配もありません。もしかして往生されているのではないかと一旦カメラを片付けて見に行ってみましたら、案の定ひとりのお爺さん…と言うほど老けてもないのですが…が、通路の真ん中で立ったままひと休みされていました。

 「こんにちは、雨でなぎでんな」と話しかけました「大丈夫でっか?足音が止まったんで、どないしはったんか思て、写真撮ってたんやけど見に来ましてん」と、ありていに言いました。
 お爺さんは「ああ、ああ、いやいやもう不自由になってしもてあかんわ」「あんたこんなとこまで写真を?」「そうでんねんわ」「なんやったらちょっと一服していくか?わし、そこで店やってんねん」「そらよろしな、ぜひともそうさせてもらいますわ」と平仮名の多い会話をしながらお爺さんの傍らを歩いてゆくと、正面入口から程近い一軒の飲み屋へ案内してくれました。



 少し消えた黒板に「昼定食」「親子丼」などの文字、その上から「準備中」の札がかかり、のれんが出ていました。「ここですわ」お爺さんは鍵を開け、明かりをつけてから招き入れてくれました。

 中は全くの開店前の飲み屋という感じでしたが、少し埃っぽいような黴臭いような匂いがします。

 「あんた、どっから来たん?」「大阪ですわ」「ワシも大阪や、家は東住吉や、矢田や」「週末になったら家に帰るねんけどな」、「ああ、ほな、近鉄で一本でんな」「そうや」。
 単刀直入に聞きました「脚はどないしはりました?怪我でもしはったん?」「いや、脳梗塞やねん」「ええ?ほな手術しはった?」「薬で通したんやけどな…これでもふた月前はしゃっしゃ歩いてたんやで」「そらわかりますわ、顔が皺も少のうて、脚がえらい不自由そうやのに、顔は若いなぁと思うてましたよって」「いやいやそんなことは無いねんけどな、けど、仕事はしとった」「ほな今は休んではりますのか?」「もうなぁ、あかんわぁ」。とここでお爺さん、急に寂しそうな顔になってしまいました。なんかしんみりして来てしまいました。



 「ここ、割と写真撮りに来はるで?」「ええ?ほんまに?!なんやぁ、僕だけ知ってる場所や言うことで、写真撮って自慢したろ思てたのに」「山登りしてきた人がな、降りてきて寄らはるわ」「山て、どこの山?」「大峯山やがな」「大峯山やったり行者はんちゃいまんのか?」「いやいや普通の山登りな」…。
 こういう話で延々と、小一時間も話をしました。もうちょっと撮影したかったけど、10数本撮ったし、まぁ、ええかぁと思って、撮影は切り上げてしまおうと思いました。



 お爺さんは此処へ来て30年以上になるということ、ここはどの家も持ち家なので、いますぐ壊されたりとかそういう心配はないから、また写真撮りにおいでとか、いろいろ話してくれました。それでもなんとなく心細く寂しそうでした。なんども「ふた月前はしゃっしゃ歩いてたんやで」と言って、足の不自由さが諦めきれないようで、大変お気の毒な感じでした。



 ここの残り少ない住人も歳をとって滅びてゆき、最後の一人がなくなったらここの命脈も尽きるのだろうなぁと思いました。まさに「滅びる」という感じがします。
 お爺さんには「また来ますし、居たはるようやったら声かけますわ」と言って、その場を辞してきました。

 なんとなく後ろ髪をひかれる思いで、下渕マーケットを後にし、駅へ向かうことにしました。雨は依然としてざぁざぁ降っています。

<つづく>